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できるヤツ might be harmful

僕は会社で働いているとき、デキるやつだった。少なくとも社内ではそのように評価されていた、はず。僕自身(僕が得意な仕事の範囲においては)周りの同僚よりも生産性高く、正確に作業をこなしていた自負がある。

仕事を選んでいたつもりはない。むしろ頼まれた仕事は何でもやったし、そうでないものでも「それ、やりましょうか」という姿勢だったと思う。けれども、自分に降ってくる仕事は自然に僕が得意な仕事に限られてくるし、当然スタックに積まれる作業は多くなってきて、僕が言わなくとも上司の判断で作業の内容はそういったものにフィルタリングされてくる。忙しいときは「それ、やりましょうか」という余裕もない。だから、ずっと楽しかった。

それが悪いことだとは思わない。しかし、フィルタリングから漏れた仕事は他の同僚に回され、「おいしい」作業は僕に回される。もしかしたらその作業を僕より上手にこなす人が近くにいるかもしれない。それでも僕に回ってくる。その人は「おれの方が上手くできるのに」とイライラを募らせてるかもしれない。



僕は仕事に限らずプライベートでもストレスを感じることはあまり無い。いつでも楽しくやってた。こんなに楽しく仕事できるおれ凄い、って思ってた。「いつも幸せそうだね」なんてよく言われる。楽しく生きられる天性の何かを持ってるんだろうな、みんなもオレに影響受けてハッピーになればいいな、なんて思ってた。

最近は違う角度から考えることが多い。つまり、僕が感じない、本来感じるはずだった「不幸せ感」を知らず知らずに他人に押し付けてたのかな、と思う。上手く表現できないけど、僕が受け止めるべきだった不幸を僕が気づかずに華麗にスルーして、スルーされた不幸は僕の周りの誰かが代わりに受け止めてたのかな、という感じ。



僕がゲットした幸せは周りの人が本来ゲットすべきだった幸せかもしれない。僕が気づかずスルーした不幸は僕が受け止めるべき不幸だったのかもしれない。そんなことを考えだすと少しナーバスになってしまうからすぐ思考をストップさせてしまうのが僕なんだけど、こういうことを考えることで実は他人に幸せを回せたりするのかな、考えないといけないのかな、とも思う。

まとまってなくて何が言いたいのかよくわからないけどつまり、親知らずを抜歯して精神力を使い果たしたからちょっと疲れてるってこと。

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